カッサンドルのレコード・ジャケット No.3

『ヴィンテージ・アナログの世界』
カッサンドルのレコード・ジャケット No.3
(BIOCITY NO.51掲載)

稀代のデザイナー・カッサンドルが残した、
レコード・ジャケットについて考察する本シリーズの第三回。
今回は彼の人物像について、更に掘り下げてみよう。

アドルフ・カッサンドル(Adolphe Cassandre)こと
アドルフ・ジャン・マリー・ムーロン(Adolphe Jean-Marie Mouron)は
旧ソ連ウクライナの地で1901年に生まれた。
そしてデザイナーとしてフランスで活躍した人物だ。

この「カッサンドル」というペンネームは、
ギリシャ神話の予言者カッサンドラから取っている。
イタリア語でカッサンドラは「不吉、破局」などを意味するが、
彼は何故この不吉な名前を選んだのだろうか。
示唆的でもあり、カッサンドルをめぐる謎のひとつでもある。

一般的には「イヴ・サンローラン」のロゴや、機関車「北方急行」、
大西洋豪華客船「ノルマンディ号」のポスター広告などが特に有名だが、
これらの代表作はすべて30歳半ば(1930年代)までに制作された。
時はアール・デコの全盛期で、欧州の文化的基盤が作られていく時代でもあった。

若くして名声を得たカッサンドルだったが、
メインとしていたポスター制作は1930年まで。
1950年にポスター作品を主とした回顧展を開いた時には既に過去の人になっていた。
ここから1968年に亡くなるまでの18年間の中で、
最初の8年間に残した最大の仕事こそがレコード・ジャケットのデザインであった。

彼が忘れ去られていった原因は、教え子の多くが独立し成功したこと、
レイモンド・サヴィニャック、里見宗次、ポール・ランドら
次世代の作家の台頭が著しかったことなどであろう。
彼らは、カッサンドルの作り上げたスタイルを新しい感性で発展させていた。

また私生活では結婚と離婚とを繰り返し、うつ病を発症。
常に物事を深く考えてしまう性格もあり、
1968年にパリの自宅でピストル自殺を図り死去する。

1950年代に入り販売が始まったアナログLPのデザイン制作が
一時は希望を失いかけていたカッサンドルの最後の輝きとなり、
彼の芸術の終着点となってしまった。

著名な商業デザイナーであったカッサンドルの「終点」が
ジャケット・デザインの「出発点」となったという歴史的事実は見逃せない。
彼の業績により『ジャケット・デザイナー』という職業が誕生したのである。


以下、四つに大別したモチーフ(文字・フレーム・イラスト・写真)の中から、
三番目の『イラスト』を使ったジャケット6点を三種に分類して紹介する。


A デザイン化されたモチーフ
単純なモチーフをシンメトリーに配し、ひとつのデザインを構成。
前回紹介したフレームタイプの発展形といえる。
A-1
M.ロバン(s)P.デルヴォー指揮パリ国立to.
「リサイタル」
オペラアリア集/グノー,ロッシーニ,マスネ 他


A-2
W.ギーゼキング(pf)
メンデルスゾーン:無言歌集

B.自由なイラスト
イラストを単純に配置し、文字との相乗効果を狙ったシンプルな構成。
B-1
J.イトゥルビ(pf)指揮コンセール・コロンヌo.
チャイコフスキー:Pf協奏曲1番Op.23


B-2
Y.メニューイン(vn)
G.プーレ指揮ロンドンso. / A.ボールト指揮ロンドンpo.
Vn協奏曲集/サン・サーンス:3番Op.61,シベリウス


C.モノクロ・デッサン
上記、Bのイラストをシンプルなモノクロのデッサンに置き換えた構成。
文字とのコラボレーションは更に効果的。
C-1
H.v.カラヤン指揮フィルハーモニアo.
ベートーヴェン:交響曲3番Op.55「英雄」


C-2
A.チッコリーニ(pf)
サティ:Pf曲集/3つのジムノペディ
3つのグノシエンヌ,3つのワルツ 他